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札幌地方裁判所 平成7年(ワ)3151号 判決

原告

岡田純一

訴訟代理人弁護士

前田尚一

原告

服部由子

訴訟代理人弁護士

山本隆行

被告

株式会社岡田花香仙

代表者代表取締役

岡田ミユキ

訴訟代理人弁護士

島津宏興

主文

一  原告岡田純一が被告の株式二八〇株を有する株主であることを確認する。

二  原告服部由子が被告の株主八〇株を有する株主であることを確認する。

三  被告の平成七年一〇月一七日開催の臨時株主総会における多田玲子を取締役に選任する決議並びに定款一八条及び五条を変更する決議が存在しないことを確認する。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告らの請求

一  主文第一項から第三項までと同旨

二  (主文第三項についての予備的請求として)被告の平成七年一〇月一七日開催の臨時株主総会における多田玲子を取締役に選任する決議並びに定款一八条及び五条を変更する決議を取り消す。

第二  事案の概要

一  争いのない事実

1  被告は、印判の製作販売などを目的として、昭和三七年一一月一九日に設立された株式会社である。

被告の前身は、明治三七年に岡田登見三が岡田花香堂の屋号で開業した個人事業にさかのぼる。岡田花香堂は、昭和一六年ころからは岡田登見三の子である岡田登二郎(明治四二年二月二四日生)が個人事業を承継し、昭和三五年一〇月には屋号を岡田花香仙と変更して、昭和三七年一一月一九日に法人化された。

2  被告代表者である岡田ミユキ(大正二年三月一三日生)は、昭和一二年五月に岡田登二郎と婚姻をし、夫婦の間には、次の一〇人の子が出生した。

長男 原告岡田純一(昭和一二年九月一〇日生)

二男 岡田脩治(昭和一三年一一月三日生)

三男 岡田陽三(昭和一五年二月三日生)

長女 原告服部由子(昭和一六年一一月一〇日生)

四男 岡田健吾(昭和一七年一一月二四日生)

二女 富川征子(昭和一九年二月六日生)

五男 岡田豊茂(昭和二〇年五月一四日生)

三女 多田玲子(昭和二二年六月一一日生)

六男 岡田宣久(昭和二三年七月九日生)

四女 岡田久美子(昭和二四年一一月一一日生)

3  被告は、一株の金額一〇〇〇円、設立時の発行株式総数五〇〇株、資本金五〇万円の株式会社として設立された。

設立に当たっては、岡田登二郎、岡田ミユキの夫婦、原告岡田純一、岡田脩治、岡田陽三、原告服部由子の四人の子と、岡田ミユキの親類である和田鎮造の七人が発起人となり、岡田登二郎が一五〇株、岡田ミユキが八〇株、原告岡田純一が七〇株、岡田脩治が七〇株、岡田陽三が七〇株、原告服部由子が二〇株、和田鎮造が二〇株の株式を引き受けた。残りの二〇株は、岡田ミユキの親類である布村久雄が募集に応じて株式の申込みをする形態をとった。このうち、和田鎮造と布村久雄は、株主の名義を貸したものであり、実際には株式の払込みはしていない。

4  被告は、昭和五六年一二月一〇日、新株一五〇〇株を発行して、発行済み株式総数を二〇〇〇株、資本金を二〇〇万円とした。

この新株の発行では、新株一株の発行価額を一〇〇〇円とし、同年八月三一日現在の株主に対し、一株につき新株三株を割り当てる発行方法がとられた。しかし、新株の払込みには被告の内部に留保されていた金員が充てられ、株主は現実の払込みをしていない。

5  被告は、平成七年一〇月一七日開催の臨時株主総会で、多田玲子を取締役に選任する決議と、定款一八条及び五条を変更する決議がされたとして、同年一一月六日、多田玲子の取締役就任登記をしている。

6  被告は、岡田登二郎、岡田ミユキの夫婦が全額を出資して被告を設立したものであり、この二人のみが株主であったと主張して、原告らが被告設立時において実質的株主であったことを争っている。

二  争点

原告らは、被告設立時において、被告の実質的株主であったか、それとも単なる名義株主であったか。

第三  争点に対する判断

一  事実経過の認定

証拠(甲イ一〜一九、二一、乙一の1〜8、二、四、六の1・2、原告岡田純一本人、原告服部由子本人、被告代表者)によれば、次の事実を認めることができる。

1  原告岡田純一は、もともと大学に進学することを希望していたが、昭和三〇年六月ころ、父である岡田登二郎が高血圧症で倒れて十分な仕事ができなくなり、家族が多く家計に大学進学の費用を出すだけの余裕もなくなったため、両親から家業である岡田花香堂の後を継いでほしいと要請された。そこで、原告岡田純一は、大学進学を断念して、昭和三一年三月、高校を卒業した後、岡田花香堂の業務に従事するようになった。

二男の岡田脩治と三男の岡田陽三は、もともと家業を継ぐことを決めていたので、岡田脩治は昭和三二年三月に高校を卒業した後、岡田陽三も昭和三三年三月に高校を卒業した後、ともに岡田花香堂の業務に従事するようになった。

2  原告岡田純一、岡田脩治、岡田陽三の三人の兄弟は、病気がちの岡田登二郎や母の岡田ミユキをよく助けて、岡田花香堂、屋号変更後は岡田花香仙の業務に専念した。原告岡田純一ら三人の兄弟は、家計を管理していた岡田ミユキから小遣いや衣服などの生活用品は与えられていたが、岡田花香堂や岡田花香仙の業務に従事することの対価として給与の支給を受けることはなかった。

岡田花香堂、岡田花香仙は岡田登二郎の個人事業であったため、その営業により得られた利益は、一家の家計に充てられ、余剰が生じたときは岡田登二郎名義の預金として蓄えられていた。

3  原告服部由子は、昭和三六年三月に高校を卒業した後、隣家の衣料品会社に就職していたが、岡田花香仙が次第に業績を伸ばして人手が足りなくなってきたため、両親から家業を手伝うよう要請されて衣料品会社を退職し、昭和三七年四月から、岡田花香仙の業務に従事するようになった。

4  原告岡田純一は、家業を発展させるため事業を拡大することを意図し、昭和三七年秋、札幌市中心部の狸小路三丁目にサン・デパートが開店した際には、慎重な態度をとる両親を説得して、サン・デパート内にテナントとして岡田花香仙の印章売場を出店させた。この出店が成功して、岡田花香仙は好調に業績を伸ばした。

この出店を契機として、原告岡田純一は、両親に対し、将来のためにも岡田花香仙を法人化すべきであると進言した。岡田登二郎と岡田ミユキも、これに同意し、岡田花香仙を法人化することが決まった。

5  岡田花香仙の法人化による被告の設立については、岡田登二郎、岡田ミユキと原告岡田純一とが協議し、設立に必要な書類の作成などは、境満寿夫税理士に依頼した。

この協議により、設立に当たっては、両親である岡田登二郎、岡田ミユキと、家業を継ぐために岡田花香仙の業務に専念していた原告岡田純一、岡田脩治、岡田陽三の三人の兄弟、家業を手伝って岡田花香仙の業務に従事するようになった妹の原告服部由子の六人が発起人となって株主となること、その持ち株数は、原告岡田純一、岡田脩治、岡田陽三の三人の兄弟は同じように仕事をしていたので平等にそれぞれ七〇株とし、社長となる父の岡田登二郎はその二倍程度の一五〇株とし、母の岡田ミユキは三人の兄弟より少し多く八〇株とし、原告服部由子はずっと会社の業務を手伝っていくというので二〇株とすることが決まった。このほかの兄弟姉妹は、未成年で家業にも従事していなかったので株主とはせず、当時の法制で必要とされた七人目の発起人と、設立手続が簡易な募集設立の形態をとるために必要な株式申込人には、岡田ミユキの親類に依頼して名義を借りることが決められた。

総額五〇万円の出資金については、個人事業時代に利益を蓄えていた岡田登二郎名義の預金口座から五〇万円を払い戻し、その五〇万円が株式の払込みに充てられた。

6  こうして設立された被告は、以後、代表取締役が岡田登二郎、取締役が原告岡田純一と岡田脩治、監査役が岡田陽三という役員構成の下で、原告岡田純一が業務全般の中心となり、岡田脩治、岡田陽三、原告服部由子がこれに協力し、岡田陽三は経理も担当するという体制で運営されていった。

7  昭和四二年ころ、東京で大学を卒業して就職していた四男岡田健吾が帰郷し、被告の業務に従事するようになった。

昭和四七年六月、原告服部由子は、結婚して室蘭へ転居することとなったため、被告から退職した。

昭和五〇年八月、岡田陽三が死亡した。岡田陽三が保有していた被告の株式七〇株は、父である岡田登二郎が病気がちであったため、遺産分割協議により、他の遺産とともに、母の岡田ミユキが相続した。

岡田陽三が死亡したため、大学を卒業して東京の信用金庫に勤務していた五男岡田豊茂が両親から呼び寄せられて帰郷し、被告の経理を担当するようになった。

8  原告岡田純一は、昭和五三年一月、被告の経営方針についての相違などから岡田登二郎と対立したため、取締役を辞任して被告から退職し、同年四月、被告と同種の業務を行う個人事業を始めた。

被告では、同年四月、岡田ミユキ、岡田健吾、岡田豊茂が新たに取締役に就任し、昭和五五年八月には、岡田ミユキが岡田登二郎と並んで代表取締役に就任した。

原告岡田純一が取締役を辞任して退職した後、岡田登二郎は、被告の顧問税理士である岩城秀晴に対し、被告の実質的株主は岡田登二郎と岡田ミユキの二人であると述べるようになり、昭和五六年七月、岡田ミユキは、自分が保有する被告の株式から、岡田脩治に四五株、岡田健吾に三〇株、岡田豊茂に二五株を贈与した。

二  認定事実に基づく判断

1  被告の設立に当たっては、岡田登二郎名義の預金口座から払い戻された五〇万円が株式の払込みに充てられている。この預金は、岡田登二郎の個人事業により得られた利益を蓄えたものである。

原告らは、この預金は原告らが無給で働いたことにより蓄積することができたものであり、実質的には家業専従者の共有の資産であったから、原告らはその共有資産の持分相当分をもって出資したものであると主張する。

しかし、原告らが岡田登二郎の個人事業である家業に専従し、営業利益を上げることに寄与したとしても、その営業は事業主体である岡田登二郎の計算において行われるのであるから、営業による損益も事業主体である岡田登二郎に帰属すべきものである。この岡田登二郎名義の預金をもって、実質的に家業専従者の共有資産であったということはできない。したがって、被告の設立に当たっては、岡田登二郎がすべての株式の払込金を支出したものと認めるべきである。

2 しかし、だからといって、本件においては、当時の法制上の必要から原告らを単なる名義株主としたものとみるのは相当でない。

原告岡田純一は、岡田登二郎が高血圧症で倒れて十分な仕事ができなくなり、両親から家業の後を継いでほしいと要請されたため、大学進学を断念して、高校卒業後すぐに家業に従事するようになり、やはり家業を継ぐため高校卒業後すぐに家業に従事するようになった岡田脩治や岡田陽三とともに、病気がちの岡田登二郎をよく助けて、給与の支給を受けることなく家業に専念し、サン・デパートへの出店を成功させて好調に業績を伸ばした。原告服部由子も、高校卒業後に他に就職していたが、両親から家業を手伝うよう要請されて退職し、家業に従事するようになった。岡田登二郎に家業を法人化すべきであると進言したのは原告岡田純一であり、被告の株主や持ち株数の決定についても、原告岡田純一は岡田登二郎や岡田ミユキとの協議に積極的に関与した。その株主や持ち株数の決定は、当時、岡田花香仙の業務に携わっていた者を対象とし、それぞれの地位や役割を考慮して、それを反映させるようにしたものである。

このような事実経過によれば、岡田登二郎は、家業を継ぐために岡田花香仙の業務に専念していた原告岡田純一ら三人の兄弟や、家業を手伝って岡田花香仙の業務に従事するようになった原告服部由子には、名義だけではなく、実質的な株主として株式を保有させようとし、原告らにおいても、株式を保有して実質的な株主となることによって、法人化された家業にますます意欲的に携わっていこうとしていたものということができる。このことは、設立以後、代表取締役が岡田登二郎、取締役が原告岡田純一と岡田脩治、監査役が岡田陽三という役員構成の下で、原告岡田純一が業務全般の中心となって被告の運営をしていたことからも、推認することができる。

そうすると、岡田登二郎は、実質的な株主として原告らに株式を保有させるため、原告らの株式の払込義務を原告らに代わって履行したものと認めるのが相当である。これにより、被告設立時において、原告岡田純一は株式七〇株を保有する株主となり、原告服部由子は株式二〇株を保有する株主となった。

3  このほか、原告服部由子が結婚のため被告を退職した際、原告服部由子が保有する株式について実質的な帰属が特に問題となった様子はうかがわれないこと、岡田陽三が死亡した時には、岡田陽三が保有していた株式は遺産分割協議によって岡田ミユキが相続したことも、原告服部由子や岡田陽三が実質的な株主であることを前提にして、よく理解しうるところである。

原告岡田純一が取締役を辞任して被告から退職した後、岡田登二郎は岩城秀晴税理士に対し、被告の実質的株主は岡田登二郎と岡田ミユキの二人であると述べるようになったが、その意図は、被告を辞めた者は株主にしておくわけにはいかない、被告から出ていったときは株も全部返してもらうという趣旨であったものと思われる(証人多田玲子、岡田久美子)。そうであるとすれば、岡田登二郎は、被告の設立当初において、被告の業務に従事する者には実質的な株主として株式を保有させると考えていたことになるし、後に岡田ミユキが岡田脩治に四五株、岡田健吾に三〇株、岡田豊茂に二五株の株式を贈与したのも、同様な意図に出たものということができる。しかし、原告らにいったん株式を保有させた以上は、被告を退職したというだけの理由で株式の保有を奪うことができないことは、いうまでもない。

4  なお、岡田登二郎と岡田ミユキが被告にあてた昭和五一年四月一日付けの確認書(乙三)には、岡田登二郎が所有する被告の株式数は一五〇株、岡田ミユキが所有する被告の株式数は三五〇株であることに相違ないとの記載がされているが、この書類をいつ、だれが、どのような経過で作成したのかは明らかでない。

第四  結論

一  株主権の確認

以上のとおり、被告設立時において、原告岡田純一は株式七〇株を、原告服部由子は株式二〇株を保有する株主であった。

被告は、昭和五六年一二月一〇日、株主から現実の払込みを受けないで、一株につき新株三株を割り当てる新株の発行をしているから、これによって、原告岡田純一が保有する株式数は二八〇株に、原告服部由子が保有する株式数は八〇株になったものということができる。

二  株主総会決議の不存在

被告において、平成七年一〇月一七日に株主総会が開催されたことを認めるに足りる証拠はない。

したがって、同日開催の臨時株主総会で決議されたという多田玲子を取締役に選任する決議、定款一八条及び五条を変更する決議は、存在しないものと認めるべきである。

(裁判官片山良廣)

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